2005年 06月 05日
Ma
紙にクレヨン(40×50cmくらい)
1993年、六本木のダイダイ・エマニュエル・ギャラリーでの初個展で展示した作品。
ダイダイ・エマニュエル・ギャラリーは、六本木に存在した伝説のギャラリー。
そこで、AKIRA、相原、三田村らと出会い、Dead End Street が生まれた。
D,E,Sの展覧会は、いつも超満員。アーティストの輪が広がり、いろいろな人に出会った。
2005年夏、ダイダイが復活するらしい。
期待している。
Photo by Kenji Ito  Copyright Hoshitaro
 
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# by hoshius | 2005-06-05 23:21
2005年 04月 22日
マチエール
b0056632_21573781.jpgF4号 和紙に油彩 部分 (oil on JAPANESE paper)

できるだけ薄い和紙の上に油絵で絵を描いたらどうなるだろう? そう思って実験的に描いた作品。
「洋画」というと油絵で描かれた西洋絵画、「日本画」というと和紙や絹に水彩で描かれた日本人の作品と相場が決まっている。日本に生まれて絵を志す者は、そのどちらを選ぶかで必ず迷うはずだ。
しかし、既に「タブロー」の時代は終わり、世は現代美術の時代である。写真、インスタレーション、パフォーマンス・アート、コンセプチュアル・アート、ビデオ・アートと、既に「絵画」の時代は20世紀半ばで終わった感がある。
しかし、視覚芸術において、静止した平面作品を描くことは、決して時代に左右されるものではないはずだ。
そこで画材の問題になる。
発色が良くて色数もあり、伝統的に使われてきた絵の具といえば、油絵の具、水彩絵の具があることは誰でも承知している。その他にパステル、クレパス、サインペンなど画材は尽きないが、何故か、美術品の値段は何がどう描かれているかではなく、「画材」で決まっているようだ。
勿論、木炭で描いた線描よりも、油絵のほうが格段に値段が高い。以前、銀座の画廊のオーナーから聞かされた話だが、同じピカソの線描画でも、たくさん線が描かれているほうが高いという。僕は、できるだけ少ない線で単純かつ簡潔に表現するほうが、線を多用して描くよりもよほど難しく、作品の価値は高いと思うのだが・・・
ところで、誰も和紙に油彩で絵を描こうとはしない。・・・当然・・・? 確かに、何年後かには変色し、紙も破れてしまうだろう。しかし、弱くて薄い和紙の上に油彩で絵を描いてみようと思った。どおせ、僕の絵など、「永遠の価値」など初めから存在しないのだ。それなら・・・それに・・・できるだけ薄い紙の表面に分厚く油絵の具を盛ったら、なにかそれは、“非存在の存在”のような気がするではないか! なにか物体ではなく、薄っぺらい平面の表面そのもの、マチエールそのもののようではないか! そんなマチエールそのもの、絵肌そのものが素敵だ!
と言うわけで、できた作品が左の作品。そのままスキャナーに乗せてスキャンした。F4とはいえ台に入りきれなかったので、部分になっている。
2005年4月28日(木)~5月10日(火)まで、阿佐ヶ谷駅南口パールセンター通りにあるブティック「スミレ」の奥に人知れず存在する小さな喫茶店「COBU」で展示予定。水曜定休。
ゴールデン・ウィーク、どこにも行くところの無い孤独な方は、是非立ち寄ってみてね。
僕もつまらなそうな顔をして、イライラしながら椅子に座って、コーヒーを飲んでいるでしょう。
これを見て来てくれたなら、声掛けてね。ブログ見たって。そしたら何かプレゼントするかも・・・。
http://d.hatena.ne.jp/hoshius/20050422
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# by hoshius | 2005-04-22 22:38
2005年 04月 04日
二人
b0056632_19273868.jpg1981年
高橋さんのビニールハウスに居候していた頃に描いた絵。

画用紙にクレヨン。

絵の中の僕は、空中に浮かんで、夢見心地で裸の恋人を抱いている。
二人とも目をつぶり、相手を信頼し切っている。
彼女はカリフォルニアのミルバレーで出会ったスハジョだろうか?
それとも・・・。
自分自身、不思議に思うのは、絵の右上に 「山田さんへ」 と白く描かれている事だ。
僕は意識的にそう描いた覚えはない。
ほとんど “自動書記” で描いた絵だ。
Yさんの本名は、山田という。
彼女は、僕がほとんど “自動書記” で絵を描くことを知っていた。
しかし、自動書記でも、描いている最中、自分で考え、試行錯誤することがとても大切だと
教えてくれた。
Yさんは、文字を、ほとんど “自動書記” で書く。
 
この絵は、僕の無意識かアストラル体か霊体が、Yさんに見せるために描いたものなのだろう。
僕の自意識は、Yさんの名前を描こうとは、まったく思っていなかった。

Photo by Kenji Ito
Copyright Hoshitaro
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# by hoshius | 2005-04-04 19:41
2005年 03月 27日
男女
b0056632_14324711.jpg1981年
高橋さんのビニールハウスに居候していた頃に描いた絵。

画用紙にクレヨン。

19才のとき、カリフォルニアのミルバレーで出会ったスハジョ。白人のパナマ人。
泊めてもらったスワミ・スネークの家の庭に、大きなホット・バスタブがあった。
夜中に一人、夜空の下、全裸でバスタブにつかっていると、彼女が全裸で入ってきた。
She came in through the bathroom window !
でも彼女は、金儲けのために、コリアにペーパーマリッジしに行くと言っていなくなってしまった。
(詩は下記にあります。)http://blog.goo.ne.jp/hoshius/e/05c35c7701459999844500198830f45a)

男に利用される女。
でも僕もその男の一人だ。
そんなくやしい思いから描いた絵。

Photo by Kenji Ito
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# by hoshius | 2005-03-27 14:52
2005年 03月 26日
シェークスピア
b0056632_23145084.jpg1981年
高橋さんのビニールハウスに居候していた頃に描いた絵。

画用紙にクレヨン。

その頃、僕は20才で、便所が共同で風呂もない6畳一間のアパートに住んでいた。
この絵はそのボロアパートの壁に貼り付けてあった。

「ロミオとジュリエット」、「真夏の夜の夢」、「ハムレット」
ちょうどその頃僕は、シェークスピアの戯曲を夢中で読んでいた。
そしてジョン・ダンの詩集。
英語はときに、とてもロマンチックだ。

Photo by Kenji Ito
Copyright Hoshitaro
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# by hoshius | 2005-03-26 23:43
2005年 03月 25日
王様
b0056632_122423.jpg1981年
高橋さんのビニールハウスに居候していたときに描いた絵。

画用紙にクレヨン。

幻のグランジバンド、ループ・オン・ザ・ヘブンのCD裏ジャケットに使ってもらった作品。


「どのような絵を描くのかは自分でもわかりませんでした。
ただクレヨン一本一本の原色が、それぞれ独自の意味を持っていることが、僕には、はっきりと感じられました。

僕は感じたのです。
そして、知ったのです。
赤 青 黄 緑 オレンジ 紫 群青 ピンク 黄緑 水色 灰色 黒の正体を。
そしてその意味を。

一本のクレヨンを握ると、その色の感情が目から飛び込んできて、色の波動が僕のエネルギーと共振して感情を震わせました。

ひとつの色は、隣合う色と共振して輝き、まるで挑発し合う男女の感情のように、互いに互いを映し合い、挑発し合い、変化しながら欲情し合っているように見えました。

そして、気付いてみると、いつの間にか白い画用紙は虹色に染まり、原色の飛び交う画面は真っ白に眩しく光り輝いて見えたのです。

そのとき、僕の瞳孔は開き切り、放心して恍惚を感じていたのです。」

Photo by Kenji Ito
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# by hoshius | 2005-03-25 01:39
2005年 02月 15日
インドにて2
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1979年、インド、プーナのアシュラム滞在時に、レポート用紙に鉛筆で描いた落書き2。
当時のぼくの心象風景。
とても性的な絵だと自分では思っている。
剣道着を着た男が、竹刀を持って女の体に触ろうとしている。
しかしその女は、化け物のような男にぴったり憑依されている。
竹刀は、男根の象徴だろう。
それを隠して、素手で触ろうとしている腕は、書物を土台にしたつっかえ棒によって阻止されている。
竹刀の先に向かって階段を駆け上がっていく男は、やがて階段を駆け下りることになる。
その行く先には、ドーム型をした森があり、もう一つ別の太陽が輝いている。
やがて彷徨い、辿り着くことになるメンドシノの森だろうか?
小さい女の子が亀に縄を付けて、川の上を散歩している。
それを見守るように、長身の男が森の木と見分けもつかない姿で、彼女に寄り添って歩んでいる。
その川の脇には、遭難した男女。
たぶん、ぼくの父と母だろう。
僕は、超高層ビルのてっぺんで、膝を組んで寝転びながら、月の裏側を見ている。
本当の顔はわからない。
仮面をかぶっているからだ。
しかし、体だけは、衣服や皮膚や肉までも透して、骨まで透けて見えている。
今ここの太陽と、未来のあそこの太陽が、月を照らしている。
しかし、何故か、二つの太陽が照らす月の表面は暗黒で、照らしていない方が輝いている。
月の裏側だからだろう。
海の上をハイウェイが通り、車が列をなして向こうからこちらに向かって走って来ているようだ。
その海原の向こうには噴煙を上げて噴火している富士山が見える。
だれか、今で言う“フライング・ヒューマノイド”が、海原の上空すれすれを滑空し、噴火している富士山に向かって飛行している。
富士山の上にかかった雲は雨を降らせ、その雨雲の上に人の子が乗っかっているのが見える。
もう一人の僕は、家の中で目をつぶって窓から顔を出している幼い子供だ。
その閉じ込められた家の屋根の上には、馬が走っている。
彼女に向かってひた走る馬。
知識の宝庫である数々の書物に目もくれず、性の象徴である馬は、ひたすら彼女の方へ向かって走って行く。
今では薄汚れてしまった落書き。
これを描いていたときは、あまりいい気持ちはしなかった。
http://blogs.dion.ne.jp/hoshius/
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# by hoshius | 2005-02-15 23:00
2005年 01月 06日
インドにて1
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1979年、インド、プーナのアシュラム滞在時に、レポート用紙に鉛筆で描いた落書き1。
当時のぼくの心象風景。
左下のライオンのような大きな顔は、師匠ラジネーシだろう。
恐る恐るトラのひげに触っているぼくは、当時17才の高校生。
その上には洞窟の中で聖歌を歌う合唱隊。たぶん“グレゴリオ聖歌”を歌っているのだろう。
ぼくは、3才で自覚的にクリスチャンになった。今、そこから離れ、“異端”であるグル思想に触れようとしている。グレゴリオからグルへの転身自転車。
その上には首をかしげた霊がいる。
もうひとりの僕はその霊に触ろうとしている。
この霊こそ、ぼくの本当の師匠。インドから帰国後出会うYさんかもしれない。彼女は酉年生まれ。水鳥が水面に浮かんでいる。
もうひとりのぼくの右横には、聖母の立像が高いビルディングの街の上空に立っている。
左半分の町の風景は、ぼくが今までいた日本の風景だろう。
小さい家がたくさん建っている。
そこに“生命の木”ともいえる大木がある。
ラジネーシはダルシャンのときにぼくに言った。
「誰でも悟りを開けるのだよ。木でさえ悟るのだ。あらゆる生命は輪廻を繰り返しながら、みんなその木に向かって旅をしている」と。
たぶんその「あらゆる生命が輪廻を繰り返しながら向かっている生命の木」が、空中、空いっぱいに枝を広げている。
ぼくはこの先、その木の根っこ、地中深くにもぐらなければならないのだろう。
鳥の飛行機が、その生命の木の方向に向かっている。
http://blogs.dion.ne.jp/hoshius/
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# by hoshius | 2005-01-06 01:23